PATOIS パトワ語の歴史
パトワ語の背景
ジャマイカの過去には多くのアフリカ人が奴隷として連れられ、スペインによって植民地化されていた。
そこに目を付けたイギリスの海賊によってスペイン人の財は乗っ取られ、イギリスによって新しく植民地化を進められた。
その後も長く続いた奴隷制度も、数回にわたる奴隷の反乱の末1834年に奴隷制度が廃止された。
また、イギリスの支配下も300年以上続いたが、1962年には晴れて独立国となった。
その背景には、植民者による「奴隷の反乱を防ぐ為の対策」として様々な地域からの奴隷を連れてくることで、奴隷者の言語による意思の疎通を妨げたことがある。
その結果、奴隷達は母国語と植民者の言語を混ぜあって意思を表現する事となる。
これがパトワ語の誕生であり、英語に加えて様々な西アフリカの方言とフランス語やスペイン語といったヨーロッパの言葉の影響を受ける要因となる。
パトワ語の現在
現在、公用語が英語のジャマイカでパトワ語はどのように扱われているのか?
新聞や雑誌といったメディアでの使用は少ないが、誰もが理解出来る内容を書くべき場所でもパトワが使われる事から、日本でいう「方言」や「なまり」とは違い広く認知されている。
また、現地のWEBサイトでは日常的に使用されている。
日本のWEBサイトやメールでも話掛けるような口語が使われる事から、パトワ語は広く口語として使われる存在であることがわかる。
そして、レゲエの歌詞に多く見られ、その歌詞のメッセージ性を強く打ち出し、社会的背景などを歌詞に込めた強いメッセージが多い。
パトワ語の今後
パトワ語はジャマイカで広く広まり、社会的階層を超えた誰もが理解出来る口語として、かなりの頻度で使用されている。
そして自分の意思を最も正直に表現できる言語だとも言える。
また、レゲエ・ミュージックとの深い関係やスラング、改善されない社会問題を背景に一つの文化と扱われるべき言語と言える。
しかし、今後パトワ後を普及させるにはジャマイカの国益や世界背景から見てもまずありえない事だろう。
ジャマイカは海外とのビジネスでの収入が大半を占めている。
英語という世界語より先に教育の一環に「パトワ語」を取り入れ、パトワ語が普及する事は決して利益にならないからだ。
パトワ語は歴史となり文化となって、いつかジャマイカからパトワ語が使用されなくなる日がくるのかもしれない。